満足度が高いものが一番いいものとは限らない。

食べ物を食べたときによく聞く「意外と」おいしい。これって見た目がいまいちだったり、イメージが悪いものを食材で使ってたりしたときにでてくる言葉なんじゃないかなと思ってます。食べてみると味が悪くない、むしろおいしい部類に入るかもっていう感じで満足感が強いはずです。
ただ、その場所にもともと自分が好きでおいしいものがあれば、ほとんどの人が意外とおいしいものじゃなくておいしいものを選ぶと思うんです。でも、その自分がおいしいと思ったものが想像していたよりも普通の味だったとなれば、満足感は低くなります。
この普通の味のものと意外とうまかったもの、どっちがおいしいかと言われれば、たぶんどっちも同じくらいのおいしさだったりします。

違うのは満足度。

満足度って食べる前の「期待」と実際に食べた時の「満足感」とのギャップだと僕は思っています。期待がもともと低い場合はよほど悪くなければプラスに動きやすくて、もともと高い場合はよほど良くなければプラスには動きにくいです。

不良と優等生

みんなから不良と思われている人が何かいいことをしたとき、たぶん、不良なのにすごくいいことしてるじゃん。となる気がします。その一方で、みんなから優等生と思われている人がいいことをしたときは、やっぱり彼ならそれも当たり前にやってくれると思った。となるんじゃないかと。おそらく、もともとの期待が低い分、不良のほうがギャップがあるので、何かしたときの一時的な評価は一気に高くなります。
もともとの期待が「1」のところから「5」のところに行くのは「4」のギャップ。
もともとの期待が「5」のところから「6」のところに行くのでは「1」のギャップ。
あきらかに前者のほうが満足度が高く出ます。

わかるのはコストパフォーマンス

満足度でわかるのはコストパフォーマンスで、それが一番いいものとは限らないです。満足度という数字だけだと本当にいい物の価値は測れない気がします。それにいいと思うものは人それぞれですしね。
満足度が高いからというだけそれを選ぶと短期間だと満足感はあると思いますが、満足感って一時的なものなんで、それを長く使っているとたぶん不満がでてきます。そしたら、また新しいものを買って、不満がでて、また買ってというサイクルにはまって、使わない物がたくさんになります。
それはそれでそういう楽しみ方もあると思うんでいいんですが、なんか本当に満足しているのかなぁ。満足度で比べるんじゃなくて自分が求めていることにあっているかとか考えてみるのはどうでしょう。

生きることが合格点、それからは加点式

不登校・高校中退・元ひきこもりがWeb、IT、カメラ、バイク、教育、食べ物、生活など、興味のあることを頭の中からアウトプット。

0コメント

  • 1000 / 1000