不登校・高校中退・ひきこもりから脱出までのお話(宮田岳の場合)

ぼくのブログを読んだ不登校の子どもをもつ保護者の方からメッセージをいただきました。ぼくのケースを共有できればということでここに書いておきます。

不登校にもいろいろあるので、親からしてみたら問題なさそうなのになんでなの!?っていうことが意外とあるかと。原因が明確であればいいんですが、不登校児の頭の中はそんな単純なものではないです。

自分の性格と不登校

ぼくの性格は完璧主義の頑固。中学校時代は運動、勉強もとくに問題なくて成績もトップのほうでした。

高校も進学校に行ったのですが、高校に入学してからは、勉強をしないといけないと意識するようになってきて自分の中に不具合が生まれてきました。

勉強も部活も全部やらないといけない、全部こなさないといけないという気持ちでだいぶ詰まってました。

学校で勉強して、部活もやって帰れば21時くらいでそこから課題をこなす。それを完璧にこなすなんてほとんどの人が到底無理な話で、だいたいの人はどこかしらをうまく力を抜いて、バランスをとってるんですが、完璧主義だとすべてがうまく回らないといけないという気持ちになって、オーバーヒートします。

そこででてきたのが、優等生の劣等感でした。

みんなはできているのに、自分はこんなこともできない。自分はそんなにすごくない人間なんじゃないか。ダメな人間なんだという気持ちです。

あとは担任と副担任もあまりいい先生ではなかったというのもあって、ますます深みにはまりました。(どうせやめるなら先生殴っておけばよかったとふと思ったことも…)

ぼくの場合は2、3ヶ月で不登校になって、何回か通学しようと行ってみたもののやっぱりダメで、結局留年になってそのタイミングでもう無理だと思い、中退しました。

中退後の動き

中退後は、なにかしないとということで行動の幅を広げようと原付バイクの免許をとったり、大検を受けたりしました。

でも、他の人はまともに学校に行っているのに自分は行っていないという焦りや劣等感がぐるぐる頭の中で回ってました。

なんとかしないとということで、アルバイトも挑戦してみたのですが、そのアルバイトも結局1日行って、これは無理だとやめてしまいました。

こんなこともできない、将来働くこともできないんじゃないかと不安になってさらに悲しくなった記憶があります。

メンタルどん底の日々

そこからはどん底で、しばらくは泣く日々でどうやったら楽に死ねるか迷惑かけずに死ぬかということばかり考えていました。この気持ちが一生続くなんて耐えられないと精神的に限界値までいってました。正直、飼っていた犬がいなければ、たぶん自殺していたと思います。(そのときの犬はもう亡くなりましたが、ホントに恩人ならぬ恩犬です。)

何かしてないといろいろ考えてしまうので、テレビを見たり、パソコンでずっとゲームをし続けたり、映画やアニメを深夜も見ていたりして気を紛らわす毎日でした。何も考えずに作業的にできるものにはまりやすいです。

ぼくの場合は、友だちと会うことも苦痛で久しぶりに会おうとしたときは緊張で気持ち悪くなって吐いてしまったこともあります。

なんとなく動く気力がわいた

そんな感じで2年半生活をしていて、ある程度心が落ち着いてきて、何かしたいという欲がでてきたので、勉強を始めて、1年遅れで大学に入った感じです。(1年勉強して大学に入れたのは自分としてはキセキでした。)

あと、大学に行きたいと思ってすぐに勉強を始めたのではなく、勉強は負担なので、自動車の免許を取りに行きました。(ちょっとしたリハビリのリハビリです。)

勉強は独学が無理だったので、河合塾に行きました。

最初は浪人生のコースに入ったのですが、何も勉強していない状態で勉強に全然ついていけず、大検コースというものがあったのでそのコースの授業を受けるようになりました。

大検コースに行ってよかったのは同じような境遇の子たちがいて、自分だけじゃないんだということがわかったことです。ぼくよりも精神的にまいっていた子もいましたし、話してて気がラクな子が多かったです。境遇が似たような人と会えたこともよかったです。

少しずつ普通の状態にはなったが…

そんな感じで徐々に進んで、大学に入って精神的にも普通の状態に近づけて生活できるようなりました。

ただ、今でもそうなんですがいろいろと楽しめるような精神状態には完全には戻りきっていないです。

楽しいと思うことはできるようにはなっているんですが、なんでしょう…すごく抜けきった楽しさをもつということはなかなかできないです。

大学卒業後も何度か就職もしましたが、組織に所属することで悩みが生まれたり、うまくできないことがあると精神的に体調を崩したりしてやめています。

正直、社会や組織に馴染めない感は今でもあります。ただ、逆に開き直って、社会や組織にもきっと問題があるんだし、しょうがないと思って、自分のペースでできるように自分でNPOを作り、働くことにしました。あと、フリーランスという立場で自由に働くようにもしています。

今、こころがけていること

自分が今心がけているのが、おかしいと思われるかもしれないですが、物事を中途半端に終わらせる、できれば失敗をするということです。

ゲームで言うと、ぼくの場合ロールプレイングゲームとかをやるとすべての場所を確認したり、アイテムをコンプリートするということをしないと気がすまない性格だったので、あえてできる限り気になっても無視してクリアを目指す感じです。

あと、ぼくのような性格の場合、他人をすごく気にするタイプなので、ほかの人は自分なんて全然気にしていないから自由に動くことを自分に言い聞かせてます。

不登校とひきこもりのときの家族とかの対応

ひきこもりのときはほとんど家族以外と会いませんでした。

その中であった外部とのつながりが、

・父親の関係で単発のイベントバイト

・ひきこもりの間行っていたカウンセリング

の2つくらいです。

たぶん、カウンセリングは嫌で嫌で仕方なくて、行きたくなかった記憶がありますが、半強制的に親と一緒に行ってました。

でも、この外部とのつながりがあったから動き出せたというところは否定できないです。

両親の対応

ちなみに両親もぼくがカウンセリングを受けているときに別のカウンセラーのカウンセリングを受けていました。

ひきこもりの間、両親から何か指示とかを出された記憶はないです。

基本はなにか自分が悩んで不安でちょっとパニックになっているときは大丈夫だよと安心させることを言って、とにかく落ち着くまでそばにいてくれました。安心させる言葉を投げかけ続けられた気がしないでもないです。(すみません、多少記憶があいまいなところがあります。)

両親とも仕事をしていましたが、精神的に危ないときはずっとそばにいてくれた気もします。これはありがたかったです。

逆に両親に何か言われると、やらないといけないのはわかってる、でもできない、どうやったらいいんだ!というような葛藤が大きくなって精神的に不安定になります。

人から何か言われるとものすごいストレスとプレッシャーを感じます。なので、両親もあまり自分に意見はしなかったと思います。

何か自分が行動しようとしたときは、その行動を肯定してくれて一緒にいろいろ考えてくれました。

今、親に言われているのは、健康で生きていてくれればいいということだけです。いろいろ挑戦するなら、まだサポートできるからやってみなさい。というスタンスです。


不登校・ひきこもりのストーリーはこんな感じです。

ただ、書いていて何かニュアンスが違うような気がする部分もありますし、うまく言葉が見つからず簡略化しているところもあって、正確じゃないところがあります。

あくまでもこれはぼくの経験なので、似たような状況といってもまったく同じ結果にならないです。

あと、何かやろうと思ったときに大きな一歩を踏み出そうとすると精神的に負荷がかかりすぎるので、負担が少ない小さな一歩を心がけてください。


そもそも、不登校もひきこもりもメンタル面の問題なので、対策がまだパターン化できるものじゃないです。もっとごちゃごちゃしてて、ぐちゃぐちゃしているものなので下手すると深みにはまります。

この場合だとこういう対処をしましょうっていう絶対的な方法はありません。

個々で対応することが必要なので、カウンセラーなどの専門的な人(客観性をもてる人)がいたほうがいい気はします。

ただ、精神科医やカウンセラーも性格がある人なので、合う合わないがあります。まずは話しててラクだという人を見つけたほうがいいです。解決するためというよりも、人とのつながりを保つために行くくらいでいいと思います。


このようなことを書くことがぼくのリハビリだったりします。そして、これを書けるようになったことがぼくとしてはすごいことだったり…。

生きることが合格点、それからは加点式

不登校・高校中退・元ひきこもりがWeb、IT、カメラ、バイク、教育、食べ物、生活など、興味のあることを頭の中からアウトプット。

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